作家というフィルターを通して。


わたしの祖父は、若い頃漆(うるし)職人だったんですが、


あるとき、掛川の油山寺にある三重塔の柱を、地元の職人たちと一緒に塗るため、

何ヶ月も泊まり込みで作業にあたったことがあったそうです。

そして夜になると、お寺の境内に集まってお経の仲間に入れてもらったという話を、

近年になって母から聞きました。

輪になって、長く大きな数珠(じゅず)をぐるぐると皆で回しながら時を過ごしたようです。


こんなことを思うのはおかしいかもしれませんが、

それ以来、私は特注の指輪にぐるりと模様を入れるとき、

その時の祖父たちを上から見ている気持ちになることがあります。

当時は戦後間もない時で、誰もが貧困をかかえていた頃、

お祈りの中で祖父は、生活の安定だとか家族の安全だとかいうことを祈願したのではないかと思います。


私が学んだイタリアの金細工は、自然界の精霊や森羅万象を意識したような平和的なものばかりからきているような気がしていなくて、
その歴史の長さから、勝利や栄光という絶対的ポジティブなコンセプトの影に、人間臭い時代を人間臭さを持ってして生き抜くための、たくさんの人たちの願いというものが混ざっているように感じます。



その永い時間を職人たちの手によって残されてきた不変的なものが、
古くからの”きれいな芸術”の一言では語れないんじゃないな?


祖父の祈りの時間を想像しながら、そんなことを考えはじめます。


私が作家というフィルターを通して

自分の作った模様のジュエリーを

どんなエッセンスをのせて現代で楽しんでもらえるようにしたいのか。

それがこれからのテーマのひとつになるかなと思います。