マエストロの名前

フィレンツェで、彫金を教えてくれた職人陣の中に、名前を略歴に載せたことのないマエストロが1人います。

映画の悪役のように、
大きな邸宅の、
高い天井の部屋の暗がりで、
ひっそりと彫り物をしてるような大男で、
気難しくて、
ちょっと意地悪そうで、
それでもちょっと寂しがりやな感じの言葉すくな気な老紳士。

その先生のフルネームがはっきりしないのです。

日本に帰国してから、
交流のあっただろう人に尋ねると、
そんな人は知らないという返事。

うそだ。
あの年のクリスマスにはいっしょにいたのに。
それとも、あれは幻なのか。

私に彫刻を教えてくれたあの先生の謎は
次のフィレンツェへの旅で紐解かれる。

もし現存するのなら、
マエストロは今日もきっと
あの古城のような部屋でひとり、
タガネを動かしていることでしょう。